1 月 25
太極思惟は武術にたいしての影響
by ピチレモン雑誌 PichiLemon.com 健康生活(一)「太極」は中国人の一つの考え方
「太極」と言う言葉は中国学術分野で非常に重視される『周易』の中で初めて現れた。『周易∙糸辞上』によると、「易は太極があり、そこから両儀が生まれ、両儀から四象ができ、四象から八卦が発生する」。その中、両儀は陰陽、四象は四季と金木水火を表示し、、八卦は永遠に発展、変化にある八種類の物事を指す。この派生過程の中、陰陽を核とする「太極」は天地万物の源である。陰陽相互依存及び陰陽の極まりがない相互転換から世界万物は永遠に発展、変化にあるのである。先哲たちはこの派生過程から現れた自然法則を物事の変化の普遍法則だと思っている。従って、『周易∙糸辞上』は「陰と陽は変化の法則」と提出し、『老子』は「万物は全て陰と陽があり」(『老子∙四十二章』)と言っている。だからこそ、太極は陰と陽があり、どんな物でもそれぞれ一つの太極になり、「天地万物の法則をまとめてみると太極である」(朱熹『朱子語類』巻九十四)。太極の内容理屈を検討すると同時に「易は太極があり、そこから両儀が生まれる」を説明することを目的とした「太極図」が現れた。これらの図は:空心圓図(図1を参考)、水火匡廓図(図2を参考)、易有太極図(図3を参考)、周氏太極図(図4を参考)、陰陽魚太極図(図5、6、7、8を参考)等。「太極図」の出現は太極の内容を分かりやすい形にした。
古人の「太極」の理、象に関する研究の発展により、太極思惟の陰陽弁証法則が徐々に問題認識、問題解決の基本法則に変わり、中国人の生き方と中国社会に浸透し、中国人の一つの考え方まで成長した。言うまでも無く、それが自然に中国人の人体運動の方式にも浸透し、古代武術運動の発展を影響してきた。
(二)「陰陽に従って運動する」ことは古代武術の基本原則
「陰陽に従って運動する」ことに則る武術は秦国の前の時代の文献に記載されている。その中、一番特徴あるのは、『周易』から少し遅い春秋末年越女論剣と戦国時代の『庄子』の関係記載である。
越女論剣によると、「格闘する時は、心の中は相手を重視するが、表面は軽視しているように見せること。見たら弱い婦人みたいけど、実に戦ってみれば非常に実力あること。表面と内心の弁証統一は重要である」。「技術には巧みがあり、同じように陰陽が相互に転換するのである」。これらは、全て陰陽変化の法則によって攻守制勝の道理を説明したものである。(『呉越春秋∙勾践陰謀外伝』)
『庄子』によると、攻守格闘の巧みは陰陽にある。「格闘の時は力から始めるが、最終の勝ちの要はやはり巧みである」(『庄子∙人間世』)。巧みのポイントは陰陽転換の法則に則る:「剣で戦う時は、相手にわざと虚ろを見せて誘惑し、最終に打ち勝つ」(『庄子∙剣説』)。武術格闘の時は、陰陽転換として得意な方が、巧みを持って相手に勝つのである。
中国古代武術は「陰陽変化法則」に基づき、「陰陽に従う運動」によって、数千年の冷兵器時代にわたって発展してきた。明朝の半ばから古代武術はその発展のピークに達したが、依然と「陰陽に従って運動する」ことを原則としていた。こんな状況はずっと武術愛好者に尊敬されてきた明朝武術大師戚継光(1528-1587)と 大猷(?-1580)の著作の中にも記載がある。
戚継光の『紀効新書』の中の「長兵短用篇」、「短兵長用篇」では、全て陰陽変換の法則、長と短の相互依存関係について論じた。 大猷の『剣経』の中、陰陽転換の法則で堅いと柔らかい、動きと静か、先と後等の対応要素の転換方法について説明した。「相手の力に沿って、その力を借り」、「相手の力の隙間を見て」、「静かにて動きを破り、逸をもって労を待つ」等の攻守制勝の原則と方法を提出した。これらは、後世の拳法家達に指導思想として尊ばれてきた。
要するに、戚継光の『紀効新書』と 大猷の『剣経』は古代武術が「陰陽に従う運動」の原則に沿って著しく発展してきたことを表している。「易は太極があり、そこから両儀が生まれる」、両儀即ち陰陽ということから、戚継光、 大猷及びその前の武術理念を早期の「太極運動理念」と言えるだろう。但し、厳密に言えば、これは実は単なる「陰陽運動理念」である。明朝と清朝の間、「太極」の自然観の象、数、理を徐々に拳法に導入した太極拳運動が生まれ、太極運動理念が形成、発展し始めたのである。




